札幌から約50分。千歳から約50分の農業の町。

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古民家カフェ「一尺五寸」

田園どまん中、築70年の古民家をカフェに
函館・七飯町から南幌町へ移住

なんぽろスポット#4

< 古民家カフェ「一尺五寸」 >

 南幌町市街地から車で北広島市方面へ5分ほど。左右を田んぼに挟まれた道を進むと、木造の古い民家が右手にぽつんと見えてきます。夏になると、稲穂が風に揺れる田園どまん中。取材で訪れたこの日は冬で、雪原が真っ白でした。

 こげ茶色をした木枠のガラス窓がかもしだす雰囲気。建物の歴史の長さを感じさせてくれます。白いのれんに漢字4文字。「一尺五寸」。築70年の民家を改装して令和5年8月にオープンしたカフェの名前です。

古民家カフェ「一尺五寸」の釣谷周平・ひろみ夫妻
古民家カフェ「一尺五寸」の釣谷周平・ひろみ夫妻

道南で人気のカフェを既に運営
移転の謎に迫る

 白いのれんをくぐってレトロなガラス戸を開けて店内へ。出迎えてくれたのは、オーナーの釣谷周平さん。藍色の袴姿が、古民家の和の雰囲気をぐっと引きたてています。漆喰の壁や濃い木目の床、ガラス戸の向こうの縁側、木の箪笥。それらをランプのオレンジ色の光がほのかに照らしている一方で暖炉や囲炉裏もあって、入店して数秒ですっかり大正ロマンな気分にひたっている私がいました。

 今は和モダンな店内ですが、元々は空き家として長年使われていなかった民家。生まれ変わらせたのが、周平さん・ひろみさん夫妻でした。

 この民家との出会いは、一尺五寸のオープンから溯ること2年前。釣谷夫妻は函館市の隣・七飯町で「465cafe」を運営していました。食材の地産地消や健康を意識した味付けを大切にしたカフェで、予約で満席となる人気のお店でした。医療関係の施設で勤務経験がある周平さんの想いをコンセプトに、調理担当のひろみさんがカタチにして二人で切り盛りしていました。

 店名にある「465」は地球の自転速度。「人、物、食べ物のよい循環を育んでいけたら」という願いが込められています。
 固定客がついていて経営も安定しているのに、どうして遠く離れた南幌町に…?おそらく誰もが感じるであろう疑問点を聞きました。

一度は胸にしまい込んだ「夢」
海もない遠くの田舎町で再燃

 

 「465cafe」をオープンさせようとしていた当初から、縁側がある古民家カフェの構想はありました。「店舗スペースと居住スペースを渡り廊下でつなぐような間取りを思い描いていました」と周平さんは振り返ります。

 結局は古民家ではない店舗で運営することとなり、一度は眠りについた周平さんの「夢」。転機は突然、訪れました。南幌町に近い由仁町にある築100年の古民家を改装して、函館市から移転したレストラン「PazarBazar(パザールバザール)」に訪れたことがきっかけとなりました。オーナーが少しずつ手をかけて生まれ変わらせたという店内。周平さんがかつて思い描いていたような古民家カフェの姿が目の前にありました。

 その日以来、由仁町近辺の古民家情報にアンテナを張っていると「南幌町に、希望に近い古民家がある」という情報が寄せられました。道南で暮らす夫妻にとって、聞いたことも見たこともなかった町の名前。

 海もない田園の田舎町。その古民家を見た周平さんの全身に感動が走りました。

 母屋と離れは渡り廊下で繋がっていて、庭を眺められる縁側がある。木のガラス戸は立て付けが悪く開きにくい。「まるで(映画)トトロの冒頭に出てくる、お父さんになった気分でした」(周平さん)

 胸にしまいこんでいた「夢」が飛び出そうとしているのを、もはや抑えることができなくなりました。

カフェ営業と並行で通う日々
「何度も心折れそうに」

 夢の古民家カフェオープンに向けて踏み切った釣谷夫妻でしたが、険しい道のりとなりました。まず二人に立ちはだかったのが屋内の残地物処理と修繕という壁。使わなくなった布団や家財道具の山を車の荷台に詰め込んで、ゴミ処理場へ何往復も。不用品の処分で半年が過ぎました。ひろみさんは「町の赤い指定ゴミ袋を大量に消費しました。南幌に貢献できたかな」と苦笑いをします。

 片付けが終わったら、次は修繕。老朽化が進み床は傾いて水平を保てない状態になっていました。屋根裏を掃除しようとすると、鳥の巣やネズミの巣みたいな得体の知れない物体が落ちてくる。床が突然抜けたりして、身の危険も感じたりしました。

 前職の医療系と現職のカフェ経営。リフォーム経験が皆無の二人は、youtubeでリフォームの知識を学び手探りで作業を進めました。「465cafe」の営業を続けながらの最初の1年は、週に1日の作業になりました。作業予定日の前日、お店の営業が終わってから夫妻は車に乗り込み、南幌町へ。片道4時間の道のり。古民家に到着するのは夜の11時頃でした。

 居住スペースとなる予定だった離れの建物も、リフォームを始めた当初は不要な物が多くて寝泊まりできない状況。「最初は敷地で車中泊でした」(周平さん)

 2年目になると、離れで泊まることもできるようになり作業は週2日のペースに。カフェの営業は変わらず並行していたため、南幌での泊まり込み作業は時間ギリギリまで粘って行い、仕込みのために七飯町に戻る。1週間後、また南幌町に向かう。慣れない作業ははかどらず、そんな日々が延々と続くかのように感じました。

 「本当に終わりが来るのかな」。南幌町に向かう車内で、ハンドルを握る周平さんの口から不安の声が漏れる数が次第に多くなっていきました。

 体力的にも精神的にも、二人には大きな負担がかかっていました。作業を少しでも進めたいけど仕込みに戻らなくてはいけない時間が、あっという間に迫ってくる。焦りが胸中に渦巻き、イライラが募ってしまうことも。そんな時、周平さんの支えになったのが、ひろみさんの存在だったといいます。

 「焦って心が折れそうになっていた時、妻が『ちょっと休憩しようか』と一声かけてくれました。それで一息ついて、冷静になれました」(周平さん)

仲間や地域の人々に支えられ
夏まっ盛りにオープン

 お互いをはげましあってリフォーム作業を進めてきた釣谷夫妻。不用品の処分や修繕作業は人手が足らず、札幌に住む友人たちが手伝ってくれたといいます。「助けてくれる仲間がいなかったら実現できなかった」と周平さんは振り返ります。

 七飯町からの往復が重なるにつれ、南幌町内の知人も徐々に増えていきました。向かいの家に住む駒さんご夫妻は、釣谷夫妻が作業のために到着する少し前の時間になると暖房を点けて離れを温めてくれていました。夜中に到着しても、暖かい部屋ですぐに眠ることができました。農機具の販売をしている駒さんは冬季間、重機で除雪もしてくれたといいいます。

 「不安に押しつぶされそうになりながらも、駒さんご夫妻をはじめ地域の方々に応援していただけることでなんとか乗り越えることができました」(周平さん)

 「何度も通っているうちに、大好きな町になりました」(ひろみさん)

 そして、作業開始から2年。30度を超える夏の暑い日に、「一尺五寸」がオープンしました。

地産地消と健康を意識
道産鶏とエゾ鹿料理に舌鼓

 木のテーブルやガラス扉などを処分せず再利用した店内。囲炉裏や暖炉を新たに設置しました。

 店名の「一尺五寸」は、約450mmの尺度。先代店舗465を「465mm」に置き換えて、同程度の長さを表す和のニュアンスの言葉としたそうです。

 メニューは、「465cafe」時代から大切にしてきた地産地消と健康への意識を引き継いでいます。お食事メニューは2種類。一つが北海道産鶏の料理を主菜とした「一尺五寸のお昼ごはん」。もう一つは「エゾ鹿背ロースの醤油麹漬けステーキ」。いずれも副菜とお米・汁物が付いたプレートメニューです。

 副菜は収穫時期だと南幌町で採れる野菜を。お米も近所の農家さんから仕入れるなど、地域の食材を活かした食事を味わえます。

 取材をした日は「一尺五寸のお昼ごはん」で、主菜がハーブチキンの唐揚げでした。ジューシーだけど優しい味わいで、ペロリと完食いたしました。後日に再訪した時は、エゾ鹿ステーキにチャレンジ。それまで鹿肉の独特な風味と硬さに悩んだ記憶があった私ですが、一尺五寸さんの料理は別物。柔らかくて食べやすく、ステーキソースがしっかり絡んで食欲旺盛な学生さんのようにたいらげました(おかわりしたいな)。

 コーヒーは自家焙煎のオリジナルブレンド。食事の他には甘味メニューも。465cafeの時から人気だった「月のひかりプリン」は健在。ケーキやパフェなど、ほぼ月替わりで登場するスイーツも楽しめます。夫妻で話し合ってアイデアを出し、ひろみさんが仕上げるメニューだそうです。

二人の挑戦は途上
畑作の田舎暮らしを体現

 オープン以来、町内外からお客さんが訪れています。「各地のナンバープレートをつけた車でご来店いただけているのを見ていると、札幌と帯広・道東方面を繋ぐ道の間に位置しているのが南幌町ということを感じられます」と周平さん。

 釣谷夫妻の挑戦は、今後も続きます。母屋に隣接する納屋は手付かずで、修繕を施せばオープンカフェ的な何かができるかもしれない。敷地内には野菜を育てられる畑も。野菜のオリジナルソースを自作するアイデアをあたためているそうです。究極の地産地消ですね。

 お店の定休日は週3日。「カフェの営業だけでなく、田舎暮らしそのものを見ていただけるようにしていきたい」という周平さんの思いがあります。ただそれでも、定休日のうち2日は料理の仕込みに使っているのが現状。オープンから半年で既に多くの人を惹きつけている釣谷夫妻のお店です。 

(取材:青山達哉・令和6年2月)

【店舗情報】一尺五寸
住所   北海道空知郡南幌町南12線西15
営業時間 11:00〜16:00(L.O.15:00)
定休日  毎週月火水曜日
WEB   https://isshakugosun.hp.peraichi.com/
Instagram https://www.instagram.com/isshakugosun