開拓史

1857年~1926年

開拓の歴史。それは同時に水との闘いの歴史でもあった。 
蝦夷地探検の第1人者、松浦武四郎が千歳川・夕張川を調査したことにより南幌町に初めて光があてられることになりました。
明治19年(1886年)に新潟県から10戸の入植があり、幌向原野に越後村を開きました。その後入植団体が相次ぎ、明治26年(1893年)に宮城県から石川邦光が77戸250人余りを引き連れて入植し、石川部落をつくりました。この年、岩見沢村・幌向(現南幌町)村、栗沢村が戸長役場となり、南幌町開基の年となりました。明治42年(1909年)には二級村性が実施されています。氾濫を繰り返す夕張川の治水にあたったのが、保原元二技師で明治43年から工事が完成するまでの27年間を夕張川治水事業に尽くしました。

左:南幌町更正の恩人 元札幌治水事務所長/保原元二
中:夕張川木詰の切り替え工事による新川造成(明治32年)
右:幌向運河逆水樋門建設工事

1927年~1970年

うるおいある暮らしづくりへ意欲という翼で未来へ、羽ばたく 
この年間は、戦争、敗戦、さらに高度経済成長の時代へと向かう、実に波乱に富んだ時代といえます。畑作一辺倒だった農業も、隣村の栗沢、角田、長沼などの安定した水稲耕作にならい、水田経営へと随時転換していきました。主要農業として稲作は幾多の苦難を乗り越えながら今日の姿へと成長していきました。一方、南幌町の交通として忘れてならないのが昭和5年に開通し、栗山~野幌間を走った夕張鉄道です。町民の足として活躍しましたが、石炭産業の斜陽により昭和50年に完全廃止となりました。経済の大きなうねりがうかがえます。昭和37年(1962年)には町制施行となり、町名も南幌(みなみほろ)町となりました。

左:中央市街地(昭和40年頃)
中:昭和43年6月まで営業されていた夕張太渡船場(昭和16年)
右:町施行記念パレード(昭和37年5月)

1971年~2006年

北海道の食糧供給基地 工業基地として、さらなる飛躍へ 
南幌町の町名は”なんぽろ”町と改称され、日本は高度経済成長のピークを迎えます。町づくりに貢献した初代町長の本間篤太郎には、名誉町民の称号が贈られました。南幌町総合開発計画を樹立し、暮らしに密着した施設や環境整備など多方面にわたった町づくりが進められることとなりました。福祉やスポーツ対策の充実が図られ、平成元年にははまなす国体のクレー射撃大会の開催地に選ばれています。平成4年には開基100年を迎え、札幌近郊の緑あふれる環境は、みどり野団地に多くの新町民を迎え、平成10には待望の人口10,000人を達成しました。平成12年には21世紀のまちづくりの指針となる「第4期南幌町総合計画」を策定、「緑豊かな田園文化のまち」を目指し、歩み始めました。

左:各小学校でサケの稚魚を放流(平成5年)
中:農村環境改善センターでの南幌町開基100年記念祝賀会
右:昭和48年3月まで利用されていた夕張鉄道(南幌駅)

原生の森を切り開き開拓した先人の魂。
私たちは感謝を忘れることなくたくましいフロンティアスピリッツで
南幌の可能性を広げる21世紀の開拓者で有り続けたいと願います。