南幌町史蹟めぐりMAP3

<!--$alt-->

夕張太尋常小学校跡

名称
夕張太尋常小学校跡

読み方
ゆうばりぶとじんじょうしょうがっこうあと

所在
南幌町南14線西20番地

<!--$alt-->

本校は明治32年(1899年)3月に開校され、昭和2年(1927年)まで南13線西22番地にあったが、校舎のいたみがひどく、又教室の換気採光など児童衛生上悪影響があり、南17線西17号沿線に多数の入地者があった関係上、通学距離においても不便が多く、移転増改築の必要に迫られていた。
これにより移転先を長谷川市太郎貸付け地内(南14線西20番地)に校地を設定し、11月29日この地に木造平屋校舎が新築され、以来、昭和13年(1938年)12月、現在地に移転するまで使われていた。

鶴沼跡

名称
鶴沼跡

読み方
つるぬまあと

所在
南幌町南18線西17番地

<!--$alt-->

鶴沼は、本町唯一の大きな湖で、一部干拓されたが、アイヌはこれをラブシトウ(翅湖)と呼び、安政年間には周囲七里もあった。
この地には水鳥や魚介類が多く棲息し、又季節的に多くの丹頂鶴が見られ、集まる鳥類の中で最も美しい鶴がこの名称に選ばれた。又、この沼に多く見られたカラス貝による真珠養殖がこころみられた。

木詰の地跡

名称
木詰の地跡

読み方
きづまりのちあと

所在
南幌町南20線西16番地

<!--$alt-->

町の治水工事発祥の地と言われた「木詰」とは、アイヌの人たちがラブシトウーと呼んでいた大きな沼地の一部である。またこの上流地点は、数多い屈曲部の夕張川に流木、泥砂、ゴミが停滞しており流木の数は百万本ともいわれていた。これが洪水の元凶となり開拓者はこれを除去することで、治水の始まりとなった。今はこの地名はないが、南幌町では忘れることのできない「木詰」である。この木詰は、境界の変更で現在は長沼町に移り、木詰地区と呼ばれている。