南幌町史蹟めぐりMAP2

<!--$alt-->

幌向村立育成尋常小学校跡

名称
幌向村立育成尋常小学校跡

読み方
ほろむいそんりついくせいじんじょうしょうがっこうあと

所在
南幌町南12線西5番地

<!--$alt-->

明治32年(1899年)2月11日、この地に開校。
校舎は木造柾葺平屋を建築し、明治32年(1899年)2月10日に中井五十若が初代校長に任命され、尋常科4ヵ年制、2学級編成として発足したが、翌年、南12線西4番地に移転。

五十鈴神社参道入口跡

名称
五十鈴神社参道入口跡

読み方
いすずじんじゃさんどういりぐちあと

所在
南幌町南12線西4番地

<!--$alt-->

明治29年(1896年)9月、この地に祠を建て、翌30年(1897年)9月17日、団体長板垣贇夫が所有地二反三畝を寄付して三重県宇治山田市鎮座伊勢神宮より天照大神の分霊を受け、無願五十鈴神社を創建し、毎年9月15日を例祭日と定めた。
五十鈴神社は、三重団体の守護神として奉祠した。

競馬場跡

名称
競馬場跡

読み方
けいばじょうあと

所在
南幌町南12線西9番地

<!--$alt-->

明治30年(1897年)頃より部落の草競馬が行われ、明治35年(1902年)頃には各部落が連合して競馬会が開催された。
馬産奨励のためこの場所に競馬場を作り、農耕馬の競馬が行われた。

幌向運河第3閘門跡

名称
幌向運河第3閘門跡

読み方
ほろむいうんがだい3こうもんあと

所在
南幌町南13線西9番地

<!--$alt-->

この運河は、夕張川の取水口と江別川の落口との落差を利用して閘門方式を取り入れた運河を開削し、明治29年(1896年)に完成させ、船運による生活物資の搬入と農産物の搬出に利用された。

伊勢開墾跡

名称
伊勢開墾跡

読み方
いせかいこんあと

所在
南幌町南12線西6番地

<!--$alt-->

明治26年(1893年)三重県人板垣贇夫が岩見沢お茶の水から7戸の開拓民を転地させたのが伊勢開墾の始まり。
翌27年(1893年)、50戸の三重移住団体は、江別川からバンゲソウカの細流渋川の流れを舟を引いて上がり、現在の南11線西7番地に到達した。この50戸と28年入植組の30戸が開墾に着手した。現在の南9線から南13線の間を西零号から西10号間が伊勢開墾と呼称され、広さは1200ヘクタール(約1198町歩)であった。団体長板垣贇夫は、現在の菩提寺付近に居を構えていて、開拓民の指導監督に当たったといわれている。

幌向郵便局跡

名称
幌向郵便局跡

読み方
ほろむいゆうびんきょくあと

所在
南幌町元町3丁目

明治28年(1895年)1月にこの場所に郵便局が設置され、同月16日より郵便物集配業務が開始された。明治29年(1896年)5月1日より内国為替と郵便業務を開始し、同年7月1日に小包郵便も取扱い、初代局長には板垣贇夫がなった。

幌向村公会堂跡

名称
幌向村公会堂跡

読み方
ほろむいむらこうかいどうあと

所在
南幌町元町3丁目1-7

<!--$alt-->

明治44年(1911年)秋、村役場隣りに農会事務所を新築したが、大正2年(1913年)2月に焼失し、同年4月事務所・住宅を併せて再建した。
この事務所は村会議場にも利用され、後に公会堂としても村民にも利用された。

旧幌向駅逓所

名称
旧幌向駅逓所

読み方
きゅうほろむいえきていしょ

所在
南幌町元町3丁目3-19

<!--$alt-->

旅客の宿泊官馬を使って貨物の運送等に利便をもたらすねらいで、明治45年(1912年)4月松田与三氏によってこの場所に開所し、交通不便な地帯の文化の発展に大きく貢献した。
昭和5年(1930年)夕張鉄道の開通に伴い、昭和6年(1931年)11月で廃止となった。
平成18年(2006年)登録有形文化財に登録。

幌向村戸長役場跡

名称
幌向村戸町役場跡

読み方
ほろむいむらこちょうやくばあと

所在
南幌町3丁目1-7

<!--$alt-->

明治28年(1895年)11月19日に村界確定に伴い、11月20日に幌向村戸長役場が設置され、石川小膳宅(南幌町南15線西8番地)に仮事務所を置いたが、明治28年(1895年)12月末にこの場所に役場庁舎が完成した。

幌向村立南幌尋常高等小学校跡

名称
幌向村立南幌尋常高等小学校跡

読み方
ほろむいそんりつなんぽろじんじょうこうとうしょうがっこうあと

所在
南幌町元町3丁目

<!--$alt-->

開町以来、明治38年(1905年)まで本町には尋常小学校のみであったため、早くから町民の間で高等科設置を強く要望しており、そのためこの場所に認可申請を行い、明治38年(1905年)4月1日付で南幌尋常高等小学校として認可となり、初代校長に田口音吉が赴任した。

大正園

名称
大正園

読み方
たいしょうえん

所在
南幌町元町3丁目2-1

<!--$alt-->

大正2年(1913年)、この場所に昔の在郷軍人会の手によって天然古川を利用した池や築山、グランドなどを作って公園とした。
大正4年(1915年)当時南幌小学校校庭の忠魂碑を公園内に移し、現在の石碑を建てたが、昭和22年(1947年)南幌中学校新築敷地として使用することとなり、グランドを残し廃止された。